絶望とはとてもやっかいだ。
思考が停止して、身動きがとれなくなってしまう。
そんな絶望という状況に足を踏み入れた時の、前向きな考察です。
絶望の先に突き進むのではなく、生きるための思考を再開する一助になれば幸いです。
はじめまして、wabisuke です。
大仰なようですが、
絶望で身動きがとれないときです。
ごく単純なことなので、安心してください。
絶望が見え、つらくてたまらないとき、
現在の自分の心理状態を、客観的に分析・整理して、自分で理解したい、
という思いからアウトプットした記録。
結論は…
眠りたい、食べたい等々、より生存本能に近い根源的な欲望を思い出して、
それらを、ひとつひとつ実現していくことによって、
絶望という状況から遠ざかって!
ということです。
心理考察
もういい、なくなりたい、消えたい…
そして…防衛機制としてか思考停止。
絶望(という言葉が適切なのだろうか?)した。
思考が止まり、ぼーっとし、いままで当たり前に価値のあると思っていた、すべてがどうでもよくなり、絶望した。
ふと、考えた。
絶望とは、とても恵まれた環境下で出来ることなのかも、と。
絶望し、全てを停止しても、生活に支障をきたさない環境下は、ある意味、しあわせではないのか?
普段は、やらねばならないこと(“やらねばならない”と自分で価値付けしているので、やりたいこと、欲望、希望と同義と言える)をこなすために、次々と忙殺され、絶望している余裕などない。
しあわせ?
いや、“全てを停止しても、生活に支障をきたさない”とは、
言葉通りにとらえれば、恵まれたことかもしれないが、
極論すれば、生活全般に、そして生きることに価値を見出せなくなって、全てどうでも良くなってしまっている状態のことだ。
それは、しあわせとは程遠い。このまま進み続けるのはまずい。
とりあえず、今の頭の中を整理したい。
三大欲求さえ、どうでもよくなってくる。
なんでもいい、トイレに行きたい、頭の中を整理したい、眠りたい、等々
些細な欲望でも、全力でクリアしていけば、
きっとお腹も空いてくる、眠くなる、
食べれば落ち着くし、寝れば、頭が整理される。
とりあえず、三大欲求くらいがでてくれば、
すなわち、生存したいということ、生きたいと思えるということ。
結論
どんな些細なことでも、欲望(希望)を自身の中に見出せれば、まだ絶望ではない。
ただ、ひとつまたひとつと、欲望(希望)を捨て諦めて、何にも価値を見出せなくなった時、
そこは、自己不信という名の、生存本能さえ価値が見出せない、絶望の入り口なのかもしれない。
繰り返すが、
どんな小さなことでも、まだ実現したい欲望がひとつでもあれば、まだ絶望ではない。
絶望しそうになったら、絶望の入り口に足を踏み込みそうになったら、
どんなくだらない、些細さな欲でも、
それを全力で実現させることに注力して、まずひとつひとつクリアしていく。
そうすれば、数珠繋ぎに、どんどん実現したい欲が出てくるはず。
そして、この場所から離れよう。ここはまだ近づかなほうが良い気がする。
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